私の子供時代は、どの家でも猫は家の内と外を自由に出入りしながら生きているのが普通であったと思います。
昔の家は、悪天候でない限り、窓も出入り口も開放されていました。
猫はねずみ対策に飼うのが一般的でした。
私の生家では、祖母がいつどんな猫を迎えても「タマ」と呼びつけるので、歴代の猫の名前は決まって「タマ」でした。
いずれのタマも、空腹時などの限られた時間に帰ってきたように記憶しているので、今からすると、「飼っていた」とは言えませんし、家族も、猫の生態についてはおおよその理解しかなかったと思われます。
ほんの子猫の間だけ大人が世話をしていたのでしょう。
内と外を行き来しながら、本能にしたがって獲物を追いかけ、縄張り争いをくぐり抜けて、やがて、一日のほとんどを外で過ごすようになっていったのだと考えられます。
また、家族の誰も、意識せずとも、猫を抱き上げることはしませんでした。
猫は抱っこをする対象ではなく、気がつけば近くにいる、それが当然のような存在でした。
だからこそ家は、猫にとって安心して「いつでも帰れる場所」だったのかもしれません。
子供たちが学校から帰宅して、台所で、何かおやつになるものはないだろうかとガサゴソ探していると、いつの間にやらやって来たタマが、甘えた鳴き声をあげながら体じゅうをくねくねとこちらの足に絡みつかせて、全力でエサをねだることがありました。
歩くこともままならないしつこさに負けて、私たち子供は「あー、もう!」と迷惑そうに足を払いながら、エサの鰹節を削り始めるのでした。
あのころは、家族の誰かがふと「そういえば最近タマが来ないねぇ」とつぶやくひと言で、その死を察していたかもしれません。
「昔から、猫は人目のつかないところへ行って死ぬと言われている」と祖母がしたり顔で話すのが常でした。
≪終≫
目の色がきれいなのでパチリ。猫あるあるで、カメラを向けるとすぐに立ち去ってしまいます。猫の目って、あかりの影響で微妙に変化するものなんですね。