親の介護(1)

数年前に父が亡くなり、同時に、83歳の母に認知症の症状があることが発覚。

 

そこから私の実家通いが始まった。

 

それまでは、自分の生活が優先で、車で30分もかからない距離なのに、そう頻繁に実家へ足が向くこともなかったし、たまに寄っても、5分、10分という短い滞在で、そそくさと帰っていた。

 

後になって気がついたのだが、その頃は、自分の両親に限ってそんなに早く認知症になるはずがないという、全く根拠のない思い込みがどこかにあった。

 

両親共に80代であるにもかかわらず。

 

いつの日か心臓病を患っている父が母よりも先に逝くだろうが、母は簡単にはボケないはず、と高をくくっていた。

 

父が急逝して初めて、実家の現実を目の当たりにして、愕然とした。

 

古くかび臭い実家には、無用の長物やがらくたがあふれていた。

 

母は元々捨てられない人だったが、認知症の影響で、さらに物をため込んでいた様子である。

 

そして、すでに料理をすることができなかった。

 

メニューや段取りのイメージ、材料の買い出しや下準備、調理器具の使用、火加減、調味料の加減…、料理とは、なんと頭脳を働かせる作業なのだろう。

 

母にできることは、買い出しと炊飯器の使用だけになっていた。

 

父は自分で昼食を料理していたため、母は冷凍庫にぎっしりと肉を買いだめし、焼き肉用のたれに至っては、1500グラム以上もあるボトルが10数本も存在していた。

 

母はいつのころからか一升(10合)の米を一度に炊いていた。

 

それを食べきってから、すぐに又一升を炊飯する、という繰り返しである。

 

炊飯器は常に「保温中」で、ご飯がうっすらと黄色く変色しても捨てずに食べていた。

 

それでいて、家族の夕食には毎日弁当を買ってきた。

 

母自身の食事はといえば、驚くことに一日三食を、白飯と沢庵だけで済ませており、お茶と訪問販売のヤクルトで水分摂取をしていた。

 

それ以外の飲食物は一切口にしなかったようだ。

 

それがどれほどの期間続いてきたのか知らないが、少し前に父が、「沢庵とご飯(白飯)を大量に食べる」とぼやいていたことを思い出した。

 

体重が40㎏あるかないかという小柄な体格の母が、一食のご飯の量を、ご飯茶碗に多いときで4、5杯は食べていたようだ。

 

父の言葉には、「沢庵のみをおかずにして」という意味が含まれていたのだが、私はそれをくみ取ることができず、まさか、そんな偏食があるとは露ほども知らなかった。

 

歴然とした味覚障害である。

 

案の定、母はひどい便秘にも苦しんでいた。

 

父亡きあと毎日実家へ通うことになり、ここから、母の食生活の改善に取り組むことになった。

 

≪続く≫

 

 

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