母は長年通う掛かりつけの整形外科クリニックで、膝の手術(人工関節置換術)を何度も勧められたようだが、もとより受け入れるはずがなかった。
昔から母は「手術」全般について話すとき、眉をひそめて、すくめた肩を小さく震い、「ひぃ」と悲鳴をあげるような唇の動きを見せることがよくあった。
心底「手術」というものを怖れていた。
それでも母は毎日歩くことを止めなかった。
杖の使用を「恥ずかしい」と言って拒否し、くの字に変形した膝関節が神経にさわらないように慎重にゆっくりと歩き続けた。
それは健康志向という高尚なものではなく、じっとしていられない性分からくるものだった。
母の習慣化している行動のひとつで、何十年も利用している区間だけではあったが、一人でバスを利用することができていた。
日々襲い来る膝の痛みに耐えつつ、時折クリニックを受診しては湿布剤を最大量処方してもらいながら、それでも、顔見知りの薬局へ通い、「注射は効かない」と愚痴をこぼし、勧められるままに、高価なサプリメントや漢方薬に大枚を払っていたようで、実家でそれらの瓶や箱をいくつか見かけた。
ところで、私は過去に、人工関節置換術を受けた高齢者の両極端の感想をいくつか聞いたことがある。
「もっと早く手術をすればよかった」と、痛みが無くなったことを喜ぶ方。
「手術前と何も変わらない」と、炎症が治まらず微熱を持つ膝をさすりながら悔いている方。
私は人工関節置換術について可否を述べる者ではない。
母においては、本人が手術をしないという意思があるのであれば、それはそれでベストの選択なのだと考えた。
いつか転倒するであろうことは火を見るより明らかだが、自力歩行で、行きたい場所へ行きたい時に行けている (徘徊ではない) この期間に、いずれ異常事態が発生したとしても、それは受け入れるしかない。
高齢者の転倒骨折は寝たきりへの早道だ。
整形外科クリニックの先生に相談して、カルシウム剤を処方してもらった。
軽くて滑りにくい靴は高齢者の自力歩行の必須アイテムである。
室内では足裏部分に滑り止めのついた靴下を用意した。
家中の母が通るラインは壁や家具が近いが、このころはまわりの何かに手をつくということも無く歩行していたので、手すりの設置は急がないことにした。
遅かれ早かれ手すりは必要だろう。
母のバッグの中に、住所と家族への連絡先を記したメモを入れておいた。
≪続く≫
※介護認定を受けて、条件を満たしていれば、手すりの設置他、住宅改修の費用の一部が支給されます。