アルコール依存症に思う

 

以前勤めていた職場は大通り沿いにありましたが、通りから一歩裏へ入ると、そこは住宅街でした。

 

私は通勤時、その住宅街の一角にある、職場が借り受けた駐車場を利用していました。

 

ある日、駐車場の前まで行くと、小柄なお爺さんがうずくまっているのを見かけました。

 

怪我はなさそうです。

 

普段着の様子なので、自宅が近いのかなと推測しながら、声をかけました。

 

お爺さんは上目遣いにこちらをチラッと見てから、

「気分が悪い」と弱々しい声で返事をしました。

 

何度か救急車を要請するかどうか確認したのですが、必要が無いと首を振ります。

 

「血糖値が下がってフラフラする。飲み物を買いたいがお金を持っていない…」

 

私はすぐ近くにコンビニがあることを知っていました。

 

早急に甘いものが必要なのだろうと察して、

「では私が買ってきますよ。何がいいですか?」

 

「いや。自分で行く…」

 

「フラフラの状態で歩くと危ないので、私が買ってきますよ」

 

「いや、いつも飲んでいるものがあるから…」と、お爺さんはゆずりません。

 

私は買いに行くことをあきらめて、自分の判断で財布から百円玉を三つつまみ出してお爺さんに渡し、動こうとしないお爺さんを残して、そこから立ち去りました。

 

後に職場で同僚にこの話をすると、彼女いわく、あのお爺さんはアルコール依存症であり、同様の手を使い、知らない女性をつかまえてはお金を無心するのだと言います。

 

私はお爺さんのなりふり構わぬ行為に呆れると同時に、「依存症」に加担してしまったのだろうかと考えると、少し複雑な気持ちになりました。

 

それから何週間も経ったころ、再びそのお爺さんを見かけました。

 

大通り沿いの歩道を歩いていると、手ぶらで普段着姿のあのお爺さんがこちらに背を向けて、三十歳前後とおぼしき女性と立ち話をしています。

 

その女性は明らかに戸惑いの表情を浮かべて、お爺さんの顔をうかがっています。

 

お爺さんがお金の無心をしていることは容易に想像できました。

 

私はお爺さんの背後から、女性に向けて、両腕を大きく×の字に交差させて、続けてお猪口を手にもってグイッと呑むしぐさをしました。

 

そのサインの意味が女性に届いたようで、女性が軽くうなずくのを確認しました。

 

私は何事もなかったかのように二人の横を通り過ぎました。

 

 

そのころの私は、職場の集会や宴会などでビールを呑む以外に、自宅でアルコールを口にすることは全くありませんでした。

 

お酒を美味しいと感じたことがなかったからです。

 

ですから、「アルコール依存症」というワードを見聞きするたび、(アルコール依存症は他人事)(私は絶対に大丈夫)と、自分に自信を持っていました。

 

 

その職場を退職して何年も経ったある日、たまたまお土産に貰った二合ほどの小瓶入りの大吟醸酒が、日本酒に対する私の印象をガラリと変えました。

 

それまで、焼酎や泡盛、日本酒という類は、アルコール臭いもので、料理にしか使えないと決め込んでいました。

 

ところが、キリリと冷えたその大吟醸を、「さて、味見でも」と、さほど期待の無いまま小さなグラスに注ぐと、カンロ飴を溶かしたような薄い黄褐色の透明な液体が、ワインではないかと粉(まご)うほどの香りを放っていたのです。

 

私は一杯のグラスを、ひと口ひと口香りと共に傾けました。

 

ほろ酔いの心地良さのなか、(もっと呑みたい)(また呑みたい)と思いました。

 

 

以来、現在の私は自宅で割と頻繁に、日本酒だけでなくビールもワインも呑むようになりました。

 

私はアルコール依存症ではありません。

 

しかし、飲酒の年数を重ねるにつけ、折に触れ、あのお爺さんのことが頭をよぎるのです。

 

アルコール依存症は、長期に渡って過剰に飲酒したことにより脳機能が障害される、脳の病気です。

 

性格や意志の弱さが原因ではなく、誰にでも可能性があるといいます。

 

私は時々、自分自身を戒めようと思うときがあります。

 

≪終≫

 

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