スーパーマーケットがまだ身近に存在しなかった子供のころ、魚を買うとなると近所の魚屋に行きました。
暑い地域ゆえに、どの魚屋でも商品を軒先に陳列することは無く、大きな冷蔵庫と流し台が店内に設置された店構えで、お頭のついた魚が冷蔵のガラスショーケースに並べられていました。
魚屋はたいていその家の主婦が住居の一角に店を構え、ひとりで切り盛りしていました。
男たちが漁で獲ってきた魚介を、陸で女性たちが売ったことが始まりなのでしょう。
私の近所の魚屋もご多分に漏れず、「魚屋のおばさん」がひとりで商っていました。
客は、店内でおばさんのお勧めや説明を聞きながら見合う魚を選び、その場で三枚下しや刺身や切り身にしてもらいました。
おばさんは、鋭く砥ぎ上げた、長かったり分厚かったりする何丁かの包丁を器用に使い分けて、子供ながらにほれぼれと眺めてしまう手さばきで魚を下しました。
私はおばさんの斜め後ろから、ウロコが飛んでくるのも構わずに、興味深くじっとその手付きを眺めていました。
さて、さばいた後に出る魚の「あら」は、流し台の下に置かれたポリバケツに放り込まれます。
実はそれが我が家の猫のエサになることがありました。
大人の言いつけで、両手鍋を抱えて魚屋にあらをもらいに行くのは、私の役目でした。
おばさんはバケツの中に片手を入れて慎重にかき分けながら、骨の少ない、身付きの良さそうなあらを選んで、鍋に入れてくれました。
タイミングが悪くバケツが空のときは、「今日は無いよ…」「さっきまであったんだけど…」などと、おばさんは申し訳なさそうに小声になりました。
また時には、「ちょっと待ってよぉ」と言い置いて、いそいそとショーケースから魚を一尾取り出すと、あっという間にさばいて、そのあらをくれることもありました。
あらは母が猫のエサ用に水煮にしました。
当時の猫にとって、あらはご馳走であったにちがいありません。
≪終≫